長岡京市 一斉 シェイクアウト訓練
平成30年3月9日(金曜日)午前9時30分に訓練をします!
来る3月11日で、東日本大震災が発生してから7年を迎えます。甚大な被害をもたらした大震災の記憶と教訓を忘れず、地域や世代を超えて伝え続けることが必要です。
本市では、大地震の経験と教訓を忘れず、地域や世代を超えて伝え続け、南海トラフや本市で最大震度7が想定されている有馬-高槻断層地震などの巨大地震に備えるために、3月9日(金曜日)に「長岡京市いっせい地震対応訓練(シェイクアウト訓練)」を行います。この機会に自分の命を自分で守ることが出来るように、地震が起きた場合の対応や動きの確認をおこないましょう。
訓練に参加しよう!
【シェイクアウト訓練ってなに?】
シェイクアウト訓練は、2008年にアメリカで始まった新しい形の地震防災訓練です。訓練方法はいたってシンプルで、指定された日時に、特定の会場に集まることなく、各家庭、職場、学校、外出先などのそれぞれの場所で参加者が地震から身を守るための3つの安全確保行動「まず低く、頭を守り、動かない」(Drop-Cover-Hold on)を約1分間行う訓練です。
地震による人的被害の多くは、揺れによる家具等の倒壊、落下物による負傷です。それらの被害から身を守る有効な手段である安全確保行動を身につけるための訓練です。
【参加登録をお願いします】
シェイクアウト訓練は、訓練の自発的な参加を大切にしています。
事前登録を行い、訓練参加の意思を示していただくことが、効果的な防災啓発につながります。
参加団体や人数を把握するためにも、インターネットによる事前参加登録を行っています。
参加者はぜひご登録をお願いします。次のページから参加登録できます。
訓練の時に、「長岡京市防災情報お知らせメール」を配信しますので、この機会に登録をお願いします。
【訓練日時】
平成30年3月9日(金曜日)午前9時30分
【訓練内容】
- 身の安全の確保
訓練開始の合図で、各家庭、職場、学校、外出先等のそれぞれの場所で約1分間、
(1)姿勢を低くし(DROP!)
(2)体や頭を守り(COVER!)
(3)揺れが収まるまでじっとする(HOLD ON!)
といった揺れが収まるまでの身の安全を守るための「3つの安全確保行動」を行っていただきます。
2. 防災対策の再確認
上記の行動後、家庭や職場等、それぞれの場所で建物や建物周辺の環境の点検や
家具等の転倒・落下防止の確認を行う等の下記の防災対策の再確認をお願いします。
【家庭・地域・職場等における防災対策の確認事項】
- 災害情報の入手方法や避難所など、長岡京市の防災情報を確認しましょう。
- 上部からの落下物や家具の転倒がない安全な場所を確認しましょう。
- 家庭、学校、事業所等の備蓄を点検しましょう。
- 家族等との連絡手段を確認しましょう。(災害伝言ダイヤル171など)
- 家具の転倒防止や照明の落下防止など、家や会社の安全を点検しましょう。
【訓練開始の合図】
・訓練開始時刻(午前9時30分)・・・長岡京市防災情報お知らせメールで地震発生をお知らせします。
・数分後・・・訓練用の避難準備情報として、NTTドコモ・au・ソフトバンクの緊急速報メール(エリアメール)と再び
長岡京市防災情報お知らせメールを配信します。
※訓練開始の合図がうまく受け取れなかった場合でも訓練を実施してください。
【注意!】
・訓練開始を知らせる9時30分には登録制である長岡京市防災情報お知らせメールのみ送信されます。
(長岡京市防災情報お知らせメールの登録がお済みでない方はこちらで登録できます(別ウインドウで開く))
・訓練開始数分後には、長岡京市防災情報お知らせメールに加え、緊急速報メール(エリアメール)で避難を促す内容が配信されます。緊急速報メール(エリアメール)は登録制ではなく市内全域に配信されます。
(参考)
地震の想定
有馬-高槻断層を震源とするマグニチュード7.2、最大震度7の直下型地震を想定
訓練を効果的にするために
事前にできること
訓練当日までに地震について少し考えるだけでより実践的な訓練になります。大事なことは実際に地震が起きたら、自分の周りがどうなるかをイメージできるようになることです。下記のリンクをが参考にしてください。
・政府インターネットテレビ「徳光・木佐に知りたいニッポン!~グラッと来る前に備えよう!緊急地震速報、津波警報で命を守る!」(別ウインドウで開く)
訓練に付け足し
訓練をきっかけとして、地域・職場・学校などで避難訓練・消火訓練・安否確認訓練などや家庭でブレーカー・ガスの元栓の確認・家具が倒れないか等の確認など安全行動を行った後に自主的な訓練を行ってみて、改めて地震についての考えを深めましょう。
今週の長岡京の歴史
「雨にも負けず」
時は江戸時代
今里樋ノ尻の交差点で誰かが道に迷っています。
「光明寺ってどっちやったっけ。何この交差点。どっちいったらええか全然わからへん・・・。お、あの石なんか書いたあるな。右、光明寺・左、やなぎ谷。」
今でこそ、道路には様々な情報が溢れていますが、実は江戸時代にもすでに道を示す標識がありました。今から262年前の宝暦6年(1756)の2月、滝ノ町から今里へ続く道にある、樋ノ尻の交差点に、この道標は立てられました。そして、雨にも負けず、風にも負けず、今もなお、光明寺・楊谷寺への道を人々へ示しています。そんな優しい道標のように私はなりたい。
今週の長岡京市の歴史「筍取物語」
時は江戸時代も幕末
今は昔、筍取の翁といふ者ありけり・・・ではなく、今から159年前の安政6年(1859)の2月、天満の大坂青物市場から奥海印寺村ほか、長岡京市内の村々へこんな手紙が届きました。
「西岡の方々にはタケノコの出荷で長年お世話になっております。おかげさまで昔にも増してガンガン売れております。特に近頃はうちの市場以外でもよく売れるんだとか。そこで!今年はそのタケノコをうちに多く出荷してもらえますでしょうか!マジでがんばって売りまくりますから!ホンマお願いします!」
さて、この依頼に対する西岡タケノコ農家の対応は、定かではありませんが、この時すでにこの地域のタケノコは、事前に手紙を出してまで多く仕入れようとするほどに、人気だったようですね。これぞまさしく、筍(竹)取物語といったところでしょうか。