そうだ 長岡京市へ、行こう。

長岡京の面白い記事を作成中です。お楽しみに・・・。

今週の長岡京の歴史

「雨にも負けず」

今里5丁目樋ノ尻にある道標の写真

時は江戸時代
 今里樋ノ尻の交差点で誰かが道に迷っています。
光明寺ってどっちやったっけ。何この交差点。どっちいったらええか全然わからへん・・・。お、あの石なんか書いたあるな。右、光明寺・左、やなぎ谷。」
 今でこそ、道路には様々な情報が溢れていますが、実は江戸時代にもすでに道を示す標識がありました。今から262年前の宝暦6年(1756)の2月、滝ノ町から今里へ続く道にある、樋ノ尻の交差点に、この道標は立てられました。そして、雨にも負けず、風にも負けず、今もなお、光明寺・楊谷寺への道を人々へ示しています。そんな優しい道標のように私はなりたい。

今週の長岡京市の歴史「筍取物語」

開田区有文書の写真

筍出荷依頼状(開田区有文書):長岡京市史資料編三より ※赤字は現代語訳です

時は江戸時代も幕末
 今は昔、筍取の翁といふ者ありけり・・・ではなく、今から159年前の安政6年(1859)の2月、天満の大坂青物市場から奥海印寺村ほか、長岡京市内の村々へこんな手紙が届きました。
「西岡の方々にはタケノコの出荷で長年お世話になっております。おかげさまで昔にも増してガンガン売れております。特に近頃はうちの市場以外でもよく売れるんだとか。そこで!今年はそのタケノコをうちに多く出荷してもらえますでしょうか!マジでがんばって売りまくりますから!ホンマお願いします!」

 さて、この依頼に対する西岡タケノコ農家の対応は、定かではありませんが、この時すでにこの地域のタケノコは、事前に手紙を出してまで多く仕入れようとするほどに、人気だったようですね。これぞまさしく、筍(竹)取物語といったところでしょうか。