乙訓寺(おとくにでら)
寺伝では推古天皇の勅命により聖徳太子が建立したと言われている古刹である。
創建の正確な事情や時期は未詳であるが、境内出土の瓦の年代から、
延暦3年(784年)桓武天皇が長岡京を造営した際には都の地鎮として大規模に
増築されている。
また藤原種継暗殺事件の首謀者の嫌疑をかけられた早良親王が幽閉された場所でもあるとされ、空海が一時住したともいわれる。
長岡京が廃都となっても大規模な伽藍を擁し室町時代でも10を越す僧坊が
あったという。
(事実、隣接する長岡京市立長岡第三小学校の大部分は学校建設前は寺の敷地で
あった。)
今でこそ牡丹の寺として有名であるが牡丹を植生する前の往年は寂しい佇まいの寺
であった。
現在、豊山派総本山である長谷寺より2,000株の牡丹が移植されている。
見頃は4月下旬より5月上旬。